着物ごよみ
着物を着ようと思ったとき、どの時期にどの着物を着たらいいのか迷ったことはございませんか?こちらではその時期別に、ぴったりの着物の種類をご紹介します。
着物の歴史
日本人の民族衣装である着物。まず着物というものが、現在我々の知るような姿として定着したのは、いつ頃のことなのでしょうか。 まず簡単に、着物の形―――その変遷についてをご説明いたします。
縄文時代、人々は狩猟で手に入れた獣の皮や、麻で編んだ簡単な衣服を身にまとっていました。原始時代とされる縄文時代において、衣服にはまだ装飾的な意味などなく、風雨などから身を守れればよかったのです。
弥生時代 (1世紀―3世紀)
弥生時代になると、衣服の形状は簡単な一枚布をまとったワンピース型から、上衣とズボン又はスカートの、二部式へと変化します。また、藍などの植物を使って衣服に染色を施すようにもなりました。―――この頃、古代中国にあった呉という国から、織物などの縫製方法が日本に伝わったのです。よく、着物のことを“呉服”といいますが、それはこのことに由来します。とはいえ、この頃の呉服と現在の着物では、まったくの別物です。
古墳時代 (3世紀―645年)
弥生時代に引き続き、二部式の衣服を着ていました。しかしただの布に頭を出す穴をあけただけだった上衣は、ちゃんとした襟のあるデザインへと変化し、徐々に現在の着物の形へと近づいていったようです。しかし現在と違う点として、衣服の襟は右前ではなく左前でした。
飛鳥・奈良時代 (645年―794年)
遣唐使などにより、衣服にも中国からの影響がみられるようになります。袖も大きくなり、着物が優雅さを持つようになっていきました。さらにこのとき、襟が左前から現在の右前と定められました。
平安時代 (794年―1192年)
遣唐使の廃止により、衣服も日本独自の進化を始めたのが平安時代です。上流社会において着物は、貴族好みの、より優雅なデザインへと変化し、有名な男子の束帯・女子の十二単が誕生しました。そしてこのとき、十二単を着る際の下着として着られていた小袖こそが、現在の和服の原型なのです。
鎌倉・室町時代 (1192年―1573年)
武士の台頭により、着物も戦闘に応じた、実用的なデザインへと移行していきます。袴や裳が省略され、次第に小袖のみ(この場合、小袖は下着ではなく普段着として用いられた)を身にまとう姿が定着してゆきました。
安土・桃山時代 (1573年―1603年)
華やかな美術工芸品などで知られる桃山時代―――染色技術の飛躍的進歩によって、着物も豪華絢爛なものが多く作られるようになります。絞りなどの細工が施された着物が登場するのもこの時代からです。
江戸時代 (1603年―1868年)
町民文化が花開く江戸時代―――貴族、武士に加え、裕福になった町民が財力を服飾につぎ込んだため、着物が更に贅沢さを増してゆきます。女子の婚礼用の衣装として振袖が生まれたのもこの時代です。また帯にも趣向が凝らされ、帯揚げ・帯締めなどが登場しました。帯自体の長さも時代が下るごとに長大化し、“着物を体に巻きつける”という目的から、装飾目的へとその存在の意味も変わってゆきました。この時点で、やっと着物はほぼ現在我々の知るかたちに落ち着いたのです。
明治時代以降 (1868年~)
開国後、洋服文化がなだれ込み、日常着は次第に和服から洋服へと取って代わられます。しかし日本人として、晴れの舞台などちょっと特別な日には、ぜひとも着物を着て出かけたいものですね。